更新日:2021年1月18日

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山形ものがたり YAMAGATA'S STORY

山形ものがたり YAMAGATA'S STORY

いいじかん山形の祭り編

黒川能

Kurokawa Noh

黒川の氏神、穢れなき稚児、祭りの主人たる長老。
対を成す上下2つの座が、新年を祝い、神に捧げる、幽玄の舞。

能「大般若」 上座(水焰の能)

旧正月にあたる2月1日から2日間にわたって、鶴岡市黒川地区に鎮座する春日神社の旧例祭「王祇祭」が行われます。そこで奉納されるのが黒川能です。黒川能は、春日神社の氏子である農民たちによって伝えられてきました。観世流などの現在の五流とは一線を画し、独自の伝承を500年にわたって保ち続けていると言われています。

春日神社の氏子は、能座となる上座と下座に分かれています。その年の王祇祭の主人となるのは、各座の長老。2月1日の朝、当屋(神宿)となった両座の長老の家には、春日神社の神霊宿る依代(よりしろ)がそれぞれ迎えられ、能舞台が設置されていきます。近年の住宅事情から、公民館を当屋とする例も多くなりました。

高さ2.5mの3本の杉の鉾を紐で束ね、頭に紙垂(しで)が巻かれた王祇様。一般的なお祭りでいう御神輿のような存在でもあり、当屋の守役たちの手で運ばれ、神職によって布が張られる「布着せ」が行われます。「王祇」とはその土地の神を意味し、御神霊の依代は「王祇様」と呼ばれるようになったといわれています。これは、閉じられた状態は男性、広げた状態は女性を表すという説もあります。


春日神社

 

午後6時、王祇様の前で黒川能の奉納が始まります。舞台の周りに蝋燭が灯されると、能に先立って行われるのが大地踏です。師匠に抱きかかえられて4~6歳の稚児が姿を現します。大きく広げられた王祇様を背に新しい命の誕生を象徴し、穢れのない足で舞台を踏みしめ、1か月の稽古を経て習得した難解な口上を唱え上げます。大地の悪霊を鎮め、精霊を呼び覚ますと言われる大地踏は、強い儀式的な意味を持ち、能楽より前に黒川に存在していたように感じられてなりません。

大地踏で清められた舞台では、露払い役の千歳、天下泰平を祝う翁、五穀豊穣を祈願する三番叟からなる式三番が演じられます。特に、上座の翁、下座の三番叟は、王祇祭でしか演じられることのない「所仏則(ところぶっそく)」という特別なもの。こうして翌朝まで夜通し続けられる能と狂言。2日目には王祇様が春日神社に還り、社殿にて両座立ち合いのもと能が奉納されます。

幽玄の世界を映し出す舞台のそばで、黒川の人々はにぎやかに宴に興じています。黒川能は、観客向けの上演ではなく神への奉納であり、各地の祭りと同じ意味を持つもの。


大地踏

 

村人の多くが農民だった頃、日没とともに農作業を終え、各座で集まっては稽古をし、語らい、飲み、食う。娯楽も多くなかった時代、祭りと結びついた能は、日常の延長にある最大の娯楽であったに違いありません。能という習得の難しい特殊な形式を伝え続けてきた気概は、そこに集約されます。

神の前で切磋琢磨する2つの座、祭りの主役となる長老と大地踏の幼子は死と生の対比、そして、祭りの日の精進料理は山岳信仰との深い関わりを思わせます。国指定重要無形民俗文化財として神事以外の舞台で能を披露するようになってからも、儀式により神事と同じ舞台をつくり上げ、氏神様への礼を欠かしません。

日本の代表的な流派を継承する能楽師もお忍びで訪れるのは、神への捧げものとしての意義を今も色濃く残す黒川能に、多くの伝統芸能の本質を見出しているからにほかなりません。

神事と芸能と暮らしが一体となった能の原点が、ここにあります。

<取材協力>
公益財団法人黒川能保存会


能「鐘巻」 下座(王祇祭)

 

ひとくちメモ

水面に揺らめく幻想的な野外演能

通常、神事である王祇祭は2月1日の旧正月に執り行われますが、7月の最終土曜日には、櫛引総合運動公園内の特設水上野外ステージにて「水焔の能」が上演されてきました。2021年からは、8月第1土曜日の開催に変更されます。かがり火が焚かれ、水面が揺らめく幻想的な空間で行われる能舞は、社殿の中で演じられる王祇祭とはまた違った趣きがあり、人気を博しています。

お問い合わせ
鶴岡市櫛引庁舎 産業建設課
〒997-0346 山形県鶴岡市上山添字文栄100 電話番号:0235-57-2115

参考サイト

山形ものがたり

  • いいもの山形の産業編

  • いいれきし山形の歴史文化編

  • いいながめ山形の自然編

  • いいじかん山形の祭り編